あらすじ
ある国に10人の王女と王子がいました。王は「町に行って人々の暮らしを見て、この国をどう治めたいか考えるように」と伝えます。
町から帰った王女や王子は王ではなく、なりたい職業を見つけてきます。しかし10人目の王子は「どんな王になりたいかわからない。みんなが仲良く暮らしていけたら良いと思っている。」と王に伝えます。
すると王が「誰とでも仲良くできるから国を治めてくれないか?」と言い、10人目が王になる話。
どこへどのくらい誰と行って誰の生活を見て来たのかで変わる。
このお話を読んで一つ疑問が浮かびました。
王女や王子はどこの誰のどういう暮らしを見てきたのだろうか?ということです。
①護衛と一緒に町を歩いただけ。
表面的に何となく見たとしてもこれでは町の暮らしを見たとは思えない‥。
②一人で町に住み数年暮らす。
身分を隠して町に住むほうが人々の実際の暮らしを見ることができるでしょう。しかし、これには相当なリスクがあると思います。身分がバレて誘拐されて身代金を取られたり、運悪く通り魔に襲われたり、事故に巻き込まれたり‥。王女や王子であることを考えると、この選択はないと思います。
書き出すとキリがありませんが色々可能性はあります。どこで(治安の良い所なのか悪い所なのか?、自国なのか他国なのかそれとも両方なのか?)、どれくらい(1日なのか数年なのか?)誰と(護衛や友人の有無)、誰の暮らし(裕福な地域か貧しい地域か?成功を夢見て頑張っている人かすでに成功している人か?、職業は?)を見たのかによって印象はだいぶ変わります。
全部を見るのは不可能でしょう。ですが可能な限り見てみないと偏りが生じ本当が見えません。
こういう書いていない部分に着目して疑問を持つことは大事だと思っています。
なぜなら人は都合の悪いことは積極的に話さないからです。話さないところにこそ真実はあると思っています。
しかし、それを見抜くには相当な経験や知識や洞察力が必要ですぐに身につくモノではありません。本を読んだり、人と話したり、実際に経験して少しずつ身についていくモノです。
(私もまだまだ見抜ける部分が限られている未熟者です。なので日々精進していきたいと思います。)
まとめ
書いていない部分もしっかり想像することにより話を深く理解したり情報の偏りを見抜けるようになりたいですね。