あらすじ
それぞれの動物達が自慢できるところをアピールして「すごいでしょ。」と言います。
でも「誰が一番すごいの?」と聞くと動物達は「はーい。」と言って全員手を挙げます。
なので「みんなが一番!すごいよね。」でお話が終わります。
今の考え方を反映している。
少し調べてみると今は “順位をつけない” 学校が増えている(多い?)そうです。
成績表も相対評価(他人と比べての評価)ではなく絶対評価(以前の自分と比べての評価)をしているそうです。
つまり他人は関係なく自分に焦点を当てているということです。
良い方向に考えると劣等感を抱かずに済むことと過程を大事にしていることがわかります。
でも私の意見としては方向性を間違っているようにしか見えません。
理由は‥
①社会に出た時に絶対評価では見てくれない。
これが一番大きな弊害だと思います。
学校での成績は自分がどういう努力をしていたかや過程が評価されます。しかし社会では過程も大事にされますが結果も大事です。言い方は悪いかもしれませんが過程が良くても結果が出なければ意味はありません。
社会は結果を無視した評価をしてくれません。そういう意味では絶対評価の成績表など無意味な気がします。
②負ける経験が減る。
生活をしていれば何かしらで負ける経験はするでしょうが相対評価という他人と比較されて負ける経験も必要と思います。なぜなら、どれだけ頑張っても負けることは社会に出ればよくある話です。
でも絶対評価だとそれがわかりません。相対評価なら評価が低いのに、絶対評価では評価が高いと「俺こんなに頑張って理解できた。俺天才。」と勘違いすることもあるかもしれません。天狗になっても鼻を折ってもらわないと勘違いしたままになってしまいます。
それに誰かに “負ける” という経験をしておかないと打たれ弱い人間になってしまいます。凹むことは仕方なくても立ち直るのをゆっくり待ってくれるほど社会は優しくありません。自分が立ち直っている間に周りの人間はどんどん成長して自分は追い越していきます。
もちろん立ち直れば強くなっているので悪いことではありませんが、社会に出る前に経験しておく方が良いと思います。
③過程も大事だが結果も大事。
過程は大事です。何をどう頑張っているのかは評価すべき一つのポイントではあります。
しかし結果を伴わなければ意味がありません。(長期的に意味のある過程になることもありますが‥)例えばスポーツ選手になりたいのにマンガを描いていても意味がありません。これは極端な例ですが頑張る方向を間違うことはありえることです。
それに努力してもダメな時もあります。人生は選択の連続で、 “選択する” ということは “何かを捨てる” ということです。そしてその結果が今なので結果も大事なのです。
④自分の頑張る方向がわからない。
自分の得意と不得意がわからないと頑張る方向がわかりません。
得意な自分にとっては普通に考えれば答えがわかることでも不得意な人にとっては説明されてもよくわからないことはあります。 (もちろん逆もあります。)
これでは自分が何をどう努力すれば良いのかわかりません。(得意を伸ばす方に努力するのか、不得意の底上げをするのか)
どういう方向に努力するのかは人それぞれですが、それがわからないのは良くありません。
‥いろいろ言いましたが学校生活をしていれば自然に他人との違いに気付き、得意不得意がわかっていく面もあるので成績表だけでどうこうというものではないと思います。
しかし私には良い面より悪い面の方が大きいと思うのです。
まとめ
社会に出た時のことを考えて成績表をつけてほしいと思います。
